神保は、さっそく副社長の松本清、専務のS紫郎にプレゼンテーションする場を設けた。
フロント・ノーズが長く、車体前部に絞りを入れて、テーパー(先端を徐々に細くすること)をきかせた仕上げだった。
車体は低く、いかにも空力(空気力学の略称)性能がよさそうなシルエットを持っていた。
しかし松本には、空力がクルマの表面に出過ぎてキレが強く、米国のスタイリングの印象が強かった。
「空力性能はよくなくてはならないが、あまり表面に出過ぎると冷たい印象があってPテージ多‐にはふさわしくないな」松本は、一行の労をねぎらいながらも、こう感想を述べた。
この間、国内の開発チームは先行試作車の制作に取り組み、1985年7月には、V8、3.5リットルエンジンを搭載した試作車の第一号を完成させ、テストコースで試走を始めた。
しかし、車体重量は1900百キロもあり、振動は大きく、ラグジュアリーカーと言えるものにはほど遠かつた。
開発計画正式に承認1985年9月、プロジェクトの準備段階を終えたところで神保は取締役に昇格した。
役員になってもそのまま主査を続ける方法もあったが、Sらの技術開発部門の首脳は社員の技術者のなかから主査を選んだほうがよいだろうと考えた。
神保に代わるチーム主査を選考する過程で、SKが主査になるチャンスが回ってきた。
米国の市場調査で発想の転換の必要を痛感したSKは、いよいよ出番が来たと予感した。
「米国における調査では、ラグジュアリーカー選択の第一の動機はPテージ・イメージであることを示していた。
T社を含む日本車は、信頼性は高いがノーサクセスフル・イメージであり、Pテージ・イメージは当時ゼロだった。
しかし、ベンツの購入動機の第一が自動車本来の性能にではなく、Pテージ・イメージにあることは、つけ入るすきがあることを示していた。
当時のベンツは、Pテージ・イメージの上にあぐらをかいていたとも言える。
そこでベンツと比較しても画期的なものとなる、独自のPテージ・イメージを形成したいと考えた」SKは当時をこう振り返っている。
1986年1月、T社の常務会は正式にこのクルマの開発計画を承認した。
「T社50年の自動車製造の経験を活かし、究極的な高級車を製造する」決定にあたり、会長のT田E二はこう徴を飛ばした。
1985年から86年は、ちょうど自動車の対米輸出攻勢が大きな曲がり角を迎えた時期だった。
80年代に入って急増した自動車の対米輸出は、日本メーカーとの競争激化に脅威を感じた米ビッグスリーや、職場を奪われることに不安を感じた米労働組合などの反発から、日米貿易紛争の主要な争点に発展し、1985年、日本の自動車業界は対米輸出量を年間185万台とする対米自主規制で折り合いを付けた。
またチューリッヒの代用としても、チューリッヒのサービスが行われていた。
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